子宮がんの重粒子線治療 〜体験談〜
子宮がんの重粒子線治療(臨床試験)の体験談をまとめました。
子宮がん(子宮頸部扁平上皮癌)の重粒子線治療。重粒子線によるがん治療。臨床試験。
病院と治療にまつわるエトセトラ



“スピンオフな話” の中から、病院と治療にまつわる記事をまとめました。


---病院と治療にまつわる記事一覧---

   子宮腺癌U(1001)&子宮腺癌(9704(2))
   子宮腺癌 → 子宮腺癌Uへ
   被曝量
   出会う意味 2
   出会う意味
   再会 3
   再会 2
   再会
   臨床試験の条件
   治療の条件
   治療の予約と順番待ち
   先生の転勤
   退院
   病院食がすすまないワケ
   ソフトクリーム
   窓際へ移動
   新型インフルエンザの予防接種
   病院の隣の公園
   外泊・外出・散歩カード
   発熱後の外泊
   治療中の発熱
   HIMAC復旧待ち
   重粒子線治療の待合室
   重粒子線治療の順番待ち
   照射リハーサル
   階段には要注意!
   退院より外泊がお得(?)
   林檎の季節♪
   再発や転移について再考
   PET検査の結果報告
   2種類の治療法の説明
   インフォームド・コンセント
   CTシミュレーション
   行動制限
   ナースコールのわけ
   3人目の先生
   CTシミュレーションの準備
   十月桜
   型枠づくり
   検査入院
   守衛さんのチェック
   臨床試験の提示
   病状の説明
   初診の印象
   重粒子医科学センター病院の話・・・の前に
   再発や転移の前に・・・
   免疫療法について
   将来的な再発や転移
   自分が納得できる道
   医師が患者に提供できるもの
   紹介状を依頼
   陽子線治療か、重粒子線治療か
   治療の選択
   他の治療方法
   がん告知
   体験談で一喜一憂
   重粒子線治療の体験談を集めてみました
   重粒子線治療の体験談が少ないワケ
   看護婦さんと嬉しい一言
   呪文
   酒田のおじさん 2
   酒田のおじさん
   急な予定変更も大きな心で受け入れるべし
   ジェネラルルージュの凱旋
 



子宮腺癌U(1001)&子宮腺癌(9704(2)) 2011.11.10 Thu
久しぶりに病院のホームページを見てみたら、

またまた情報が新しくなっていました。


子宮頸部腺癌に対する治療の条件が、2つになってますね。

  子宮腺癌U - プロトコール1001

  子宮腺癌 - プロトコール9704(2)

私が気づいてなかっただけで、結構前に更新されてたのかも・・・(^_^;)


プロトコールの更新に伴い、

子宮がんの重粒子線治療を受けられる条件のページを更新しました。


子宮腺癌 → 子宮腺癌Uへ 2011.7.1 Fri
久しぶりに、病院のホームページをチェックしたら、

子宮腺癌のプロトコールが更新されていました。


プロトコール9704 (子宮腺癌) → プロトコール1001 (子宮腺癌U) へ。


腺癌に対しては、重粒子線単独の治療から、化学療法を併用した治療へ、

治療成績向上のためのさらなる改良がされたみたいですね。


重粒子線治療も、全てに万能というわけにはいかないのか・・・


プロトコールの更新に伴い、

子宮がんの重粒子線治療を受けられる条件のページを更新しました。


被曝量 2011.3.23 Wed
3/11の地震以降、なにかと話題の放射線。

ニュースで取り扱われている放射線量がどのくらいなのか、

私基準で考えてみました。


私が重粒子線治療で受けた総線量は、72GyE。


GyE(グレイ・イクイバレント)という単位は、

重粒子線の照射量をエックス線に換算して表した単位だそうで、

Sv(シーベルト)とほぼ同じと考えていいそうです。


なので、私が治療で受けた放射線量は、一番強く当たる部分で、72シーベルト。

ここ最近、一番耳にする単位で表すと、72000ミリシーベルト。


CTスキャン1回が、10ミリシーベルト程度だそうですから、

治療に使われる放射線量って、実は、ものすごい量なんですね(゜o゜)ノ゛


一方で、人の命を救い、

もう一方で、人の命を奪う、

なんだかすごく難しい話ですね。


出会う意味 2 2011.2.27 Sun
病気になってからの出会いは、

私にとって、“いい出会い” が多かったように思います。


前回、あんな書き方をしてしまったんだけど、実際は、

「病気を克服する」っていう同じ目的を持った人とは何かしら共感できることがあるせいか、

話をするうちに、徐々に打ち解けることができたし、

最終的には仲良くなってるほうが多かったように感じます。


病気になってからは、

患者さん、お医者さん、看護師さん、いろんな出会いに支えられました。


そんな出会いの中に、dobonさんご夫婦との出会いもありました。

dobonさんの奥様は、私と同じ子宮頸癌。

重粒子線治療後に、旦那様が闘病のブログを始められたり、他にもイロイロ、

共通のキーワードを持っている私としては、なんだか妙に親近感があるんです。


言ってみれば、 「よきライバル」 ?!


まめに更新されるdobonさんのブログを読むのは日々の楽しみだし、

奥様の回復が、私の励みにもなっています。



・・・ただ、dobonさんの奥様は、子宮頸癌の中でもタチの悪い「腺癌」。

治療の過程も、私より多くの段階を踏んでいるし、今も病気と闘っている。

ライバルとしては、気が気じゃありません。


早く良くなって、“元気自慢” しあいましょう。

「あんなこともしちゃったし、こんなこともしちゃったよ」って、

また、がん患者らしからぬブログネタでやりあいましょう。


私なんかより多くの試練を乗り越えてきているdobonさんご夫婦には、

私なんて遠く及ばないし、相手にならないかもしれませんが、

それでも私、待ってますから。

これから先も、ずっと、 「よきライバル」 として張り合っていきましょうね。


出会う意味 2011.2.23 Wed
病気になって、入院して、

どこか虚しい時間を過ごす中で、考えていた事。

それは、出会う意味―


同じ病室になった人は、当然、これまで一切接点のなかった人。

見ず知らずの人と、その日から急に、同じ空間を共有して、寝食を共にすることになる。


「私はこの人から何を学ぶんだろう?」


“出会い” に理由なんて、本当はないのかもしれないけど、

必ずしも気の合う相手と一緒になるとは限らないから、なんとなく “意味” を探す。


オトナになってからは、特に、

価値観の違う相手と空間を共有しなくてはいけない機会も増えた。

それをストレスに感じる時もある。

でも、自分なりに何か納得できる答えが欲しいから、とりあえず “意味” を探してみる。


結局、うまい答えはそう簡単に見つけられない。

もしかしたら、その答えは何年後、何十年後にわかるのかもしれないし、

そもそも答えなんて存在しないのかもしれない。


でも、自分なりに何か見つけたいから、

とりあえず、まずは、目の前に用意された道を歩いてみよう。


再会 3 2011.2.22 Tue
友達に会いに行った日は、

入院中にお世話になった看護助手さんとも話をすることができました(^^)

やっぱり、約1年2ヶ月ぶり。


雰囲気が「八千草薫」っぽくて、

入院中は、車椅子を押してくれたり、食器を片づけてくれたり。

私と名字が一字違いだったので、妙に親近感も湧いたりして。


今回、守衛室から病院へ向かう途中ですれ違った時は、

やっぱり私の顔がピンとこなかったみたい(?)だったけど、

その後また、デイルームで会って話をしたら、うっすらわかってくれたかな〜

メガネかけてくればよかったかもね(^_^;)



・・・そういえば、私、もう一人再会したい人がいます!

「スリッパのお兄さん」と、勝手に呼ばせていただいていた人なんだけど。


固定具作成室の技師さん♪


私が入院用にサティで買った198円のスリッパ、その安さに衝撃を受けて、

私に会うたび、スリッパの話題をふってくれた技師さん(^^)


以前、通院の時に一度、売店から地下へ戻っていくのを見かけたことがあったんだけど、

ちょっと距離が離れてて、声かけられなかったので、

また偶然会うチャンスがあったら、次こそは声かけよ〜(^^♪


再会 2 2011.2.21 Mon
友達に会いに行った日は、

入院中にお世話になった先生にも会うことができました(^^)

約1年2ヶ月ぶりかな。


「あれ、顔、変わった〜?」 って聞かれちゃった(^_^;)

確かに、入院中はずっとメガネしてたし、3kgくらい痩せてたし、化粧もしてなかったし、

入院中と今とじゃ、印象が全然違うかも(?)


「ブログ見ましたよ。」 の言葉にはビックリ(゜o゜)!

「今、ブログやってる人、2人いるでしょ〜」 って。

時期と内容で、だいたい誰かわかっちゃってるみたい。

“先生も、患者さんのブログを見たりすることがあるんだ〜” って素直にオドロキました。


先生と久々に話ができて、元気な姿を見せれて、よかったデス(*^_^*)


再会 2011.2.20 Sun
金曜日は、予定通り、旦那の出張に便乗して千葉まで行き、

検査入院中の友達に会ってきました♪


友達とは、去年の3月に会って以来、なんと約1年ぶり(゜o゜)!

メールのやりとりをしてるので、そんなに久しぶりな感じはしないけど、

入院同期で、お互いの病気の事情を知ってて、いまだにやりとりがあるのは、この友達だけだし、

病気や治療の事を全然隠さず、大笑いしながら話せる相手なんて、普段はまずイナイので、

時間の許す限りおしゃべりしてきました(^^ゞ


HIMAC(重粒子線がん治療装置)は、ちょうどメンテナンス期間に入ったようで、

入院患者さんは少なく、病棟も静かな感じ。

でも、病室は1人じゃなかったから、デイルームでね。


友達の検査が終わった14時頃から、うす暗くなる17時半すぎまで、

ペットボトルのお水をお供に、ひたすらしゃべってました。

1年も会ってないと、積もる話もあるものね。

珍しく、ご家族の話も聞いちゃったりしてね。


次は、いつ会えるかな〜

また来年だったりして(^_^;)

“七夕な関係” だね。


臨床試験の条件 2010.1.20 Thu
もともと、このホームページを作ったのは、

私みたいに、

「手術も、化学放射線治療も、うまくいくかどうかは実際やってみないとわからない」

というような診断を受けた人が、

「他にも治療の選択肢がある」ってことに気づいてほしくて・・・。


でも、実際、 “臨床試験を受けれる条件” っていうのは、なかなか厳しいものがあります。


重粒子線治療の臨床試験を受けるには、

「標準治療をしても、十分な治癒の見込みがない」

という診断を受けていることが前提なので、

他の治療で治る見込みがあるなら、本人の意思に関係なく、重粒子線治療は受けられません。


実際、「重粒子線治療を受けれる条件」を見て、

その適応範囲の狭さに、がっかりされた方もいるのではないかと思います。


ただ、私が思うに、

もし治療の条件に当てはまるか微妙だったり、どうしても気持ちの整理がつかない場合は、

自己判断せず、電話相談されるのがいいと思います。


たぶん、病気の診断を受けた後、短期間のうちに “治療の選択” を迫られると思います。

病気の告知だけでも相当なショックを受けているのに、

そんな時に、すごく大事な選択をしなくてはいけない。


そういう、十分に考える時間がない中で、自己判断するのは良くないと思うんです。


「電話相談」の窓口がある治療法なら、まずそこへ電話をして訊いてみてください。

そこではっきり断られれば、あとで後悔することはないはずです。


病気の診断を受けてから治療法を選択するまでの短い期間は、

大きなショックと、さまざまな想いがめぐり、冷静でいるのは難しいと思います。

でも、その期間は、その後の自分にとって、とても大事な期間。

悩んでいるくらいなら、行動してください。

かかりつけ医への遠慮や、周囲への多少の迷惑は、この際忘れて、

貪欲に、いろんな可能性を探してください。


いろいろやった結果、最終的に “もとのさや” に戻ってしまう場合もあるかもしれないけれど、

それでも、 「あの時、ああしておけば・・・」 という気持ちだけは残らないはずです。


治療の条件 2011.1.18 Tue
治療を受ける前に、一番心配していた事は、

「私の病状は、そもそも重粒子線治療を受けれる条件に当てはまっているのか」

ということでした。


重粒子医科学センター病院のホームページを見れば、

治療を受けるための適応条件が記載されていますが、

その書き方は、とても専門的で、素人がぱっと見て理解するには難しく、

自分の病気の広がりが、治療の適応範囲内なのかどうか、微妙な境界の判断ができず、

ものすごく不安でした。


実際、重粒子線治療を受けれるかどうかは、私の場合、


  → まずは、電話相談

  → がんセンターに重粒子線治療を受けたい旨を伝えて、紹介状を依頼

  → すぐに、電話予約

  → がんセンターで用意してもらったデータを提出 & 初診

  → 初診後、治療日程の説明

  → 検査入院をして、最終的な病状の確認 & 治療準備

  → 検査結果の説明 & 治療方針の決定


というような段階を踏んでおり、

あらかじめ、治療日程の説明を受けたり、治療準備を進めていても、

最終的に重粒子線治療を受けれるかどうかの判断は、検査入院の結果待ち。

私自身、治療方針が本決まりになったのは、治療の始まる1週間前でした。


「重粒子線治療を受けれるかどうか」

治療が始まるまではすごく不安だと思いますが、

とりあえず、一つ一つ段階をクリアしていくしかありません。


まずは、「電話相談」 と 「かかりつけ医への相談」です。


ただ、以下の条件に当てはまる場合は、基本的に適応にならないようです。

  ・ 遠隔転移を有する

  ・ すでに治療対象病巣に放射線照射が行われている

  ・ 介助なくては身の回りのことが出来ない、あるいは半日以上ベッドで生活している


治療の予約と順番待ち 2011.1.16 Sun
自分が病気になって、

ある程度、治療の方向性が決まってきた時、気になったのは、

やっぱり、「治療費のこと」 と 「いつ治療できるか」 ということだったと思います。


特に、重粒子線の初診の予約をしてから、実際に診てもらうまでの間、

「できれば年内に治療を終えたい」 気持ちと、

「そんなにすぐに治療枠を確保できないんじゃないか」 という気持ち、さらには

「そもそも重粒子線治療の条件に当てはまっているのか」 という根本的な不安もあり、

とても複雑な心境でした。


実際、私の場合は、(2009年11月時点で)

  電話予約から初診まで ・・・ 2週間

  初診から検査入院まで ・・・ 3日

  初診から治療開始まで ・・・ 2週間

という感じでしたので、結果、

  電話予約から治療開始まで ・・・ 4週間


一方、もし、がんセンターで手術の予約をしていた場合、

“約1ヶ月待ち” と言われておりましたので、

結果的に、重粒子線治療の方が早くスタートできたことになります。


たまたま予約枠が空いた(?)のか、予約の少ない時期だった(?)のか、わかりませんが、

希望通り、年内に治療を終えることができました。


「重粒子線治療は、予約の順番待ちがあるんじゃないか?」

という不安があるとは思いますが、待つかどうかは、結局、誰もわかりません。

どっちかっていうと、待たされる方が多いのかもしれませんが、

タイミングさえ合えば、すぐに治療準備にとりかかれる場合もあるだろうし、

たとえ、2ヶ月待ちになったとしても、それが早まる場合もあるだろうし、

その期間を待てる健康状態かどうかは、ドクターが判断してくれます。


「待たされるかどうか」 不安な気持ちはあると思いますが、

とりあえず、患者にできる事は、できるだけ早く電話予約することだけです。


ただ、はっきりしていることは、

 ・ 重粒子線治療の前には、準備期間が1〜2週間必要であること。

 ・ 重粒子線治療装置は、年に2回(3月と8月)、メンテナンスのため約1ヶ月間休止すること。

この2点は、誰も同じ条件で、必ず待たされる期間です。


先生の転勤 2010.12.28 Tue
さて、やっと、入院中の話が書き終わりました。

年内に、話が一段落ついてよかったです(^。^)ホッ


入院中の話の中に出てくる “3人目の先生” は、今はもう、稲毛の病院にはいません。

退院の3ヶ月後に、群馬に転勤になってしまいました。

さんざんお世話になった先生とのお別れは、やっぱりさみしぃです(;_;)


転勤の直前に、先生と話した時に、

「もう一生、会わないかもしれませんね〜」

って言ったら、

「群馬の病院に来れば、いつでもいますよ」

って言ってくれたけど・・・

“病院って、そんなに気軽に遊びに行ってもいいのかい?”

って、素直に、素朴な疑問が湧きました(^_^;)


でも、ま、つまり、 “一生のお別れではない” ってことですよね(^^)b


退院 2010.12.27 Mon
退院は、20回目の重粒子線治療が終わった翌日でした。


頭頸部の患者さんなんかは、

治療が終わってからも、なかなか退院の許可がおりないみたいですが、

私の場合は、

「早く帰りたければ、最終(20回目)の照射が終わったら、その日に帰ってもいいですよ」

とのことで、

旦那の都合がつく日に合わせて、先生の説明の予定を組んでもらって、

あっさり退院できました。


入院中の荷物の一部は、病院から自宅へ、宅急便で送ったんですが、

荷物を詰める箱は、看護師さんにお願いしたら、適当なダンボールを用意してくれました(^^)


病院食がすすまないワケ 2010.12.26 Sun
一年前、入院中のクリスマス・イブの夕食は、

パン、サラダ、スープ、ローストチキン、ショートケーキ・・・といった感じの

食欲をそそるスペシャルなメニューでした。

おいしくて、完食したのを覚えています(^^♪


入院中に食欲がなかった時期、

食欲がなくても、おなかは減るから、

ごはんをお茶漬けにして、自分なりに食べやすくして食べたりしていたんですが、

それを見た師長さんが、

「ここの食事は、比較的、塩分を抑えてないほうなのよ〜」

って教えてくれました。


確かに!

「ここの病院食はおいしい」と、他の病院から転院してきた患者さんが言っていたし、

私も、「以前勤めていた会社の食堂とそんなに変わらないなぁ」と感じていました。


ここの病院食の評判が良いのは、実際そういう味付けになってるからなんですね。

なんだか納得。


でも、それでも、治療中は、なかなか体が食事を受けつけないんですよね〜

かといって、食べないとおなかは減るし・・・


そんな時は、食事をレンジで温めてみてください。


病院食って、運ばれてきた時はすでに “生あたたかい” 状態だと思うんです。

私の場合は、たぶん、“あの状態” が苦手な理由の一つでした。


食事をおいしく感じる要素って、“味” 以外にも “温度” とか “食感” とかイロイロあるんだ、

って改めて実感。

食欲がない時は、“はっきりしたもの” のほうが、食べやすいんじゃないかなぁ(?)


だから、熱々のお茶漬けは食べやすかったし、

ソフトクリームは、おばあちゃんにとっても魅力的だったんじゃないかなぁ〜なんて???


ソフトクリーム 2010.12.17 Fri
去年の今頃は、週末外泊中にソフトクリームを食べて、おなかをこわしてました(>_<)


病院まで旦那が迎えに来てくれて、その帰り道、

湾岸幕張PAで、昼食にうどんを食べた後、

なんだか、急に、ものすごくソフトクリームが食べたくなって、売店で買って食べたら、

家に着いてから、おなかが痛くなって、トイレにこもりました(-_-;)


でも、あの時のソフトクリーム、すごくおいしかったんです♪


治療は11回目を終えたあたりで、病院での食欲は6〜7割だったかな。

「おなかが減るから食べるけど、食べなくて済んだら楽なのに・・・」って思ってた時期。


そんな時に食べたソフトクリームは、最高においしかった(^^♪


外泊から戻って、同室の人にその話をしたら、

それを聞いてたおばあちゃん、全然食欲なくて、ほとんど食事できてなかった人なんだけど、

「私もソフトクリーム食べたいわ〜」って。


外泊中におなかをこわした話を看護婦さんにしたら、

「治療中で腸が弱ってる時に冷たいもの食べたら、そりゃおなかこわすよ〜」

って言われちゃったけど、

「でも、食欲ない時は、食べれるものは何でも食べていいよ。ソフトクリームはカロリー高いしね」

って言ってくれました(*^_^*)


窓際へ移動 2010.12.16 Thu
病室は4人部屋だったんですが、

意外とゆとりのあるつくりで、居心地はそれほど悪くなかったです。


入院当初は、廊下側のベッドで、“トイレも近いし便利だな〜” って感じでした。


が、入院中盤になって、師長さんから “移動してほしい” というお願いが。

なんでも、“光を嫌う抗がん剤の点滴” をする患者さんが来るんだとか。


“窓際へ移動するか、別の部屋へ移動するか” という選択だったんですけど、

正直、場所にこだわりがなかったので、“従います” とだけ答えました。

そしたら、同じ部屋の窓際へ、ベッドごと移動になりました。


移動してわかったんですけど、窓際は眩しいくらいに明るいです。

廊下側と窓際で、こんなに違うなんて、オドロキでした!

もともと、窓が大きくて明るい病室だと思ってはいましたが、

窓際は、より明るく開放的でした。


私としては、思いがけない “席替え” で、結構いい気分転換になりました。


新型インフルエンザの予防接種 2010.12.15 Wed
そういえば、入院中に、新型インフルエンザの予防接種のお知らせがありました。


“入院患者は、希望に応じて、優先的に受けられる” というやつで、

「あ、私は、そういう立場なんだな」と、改めて実感させられました。


でも、私は、予防接種を受けませんでしたよ。

「インフルエンザにかかる気がしない」という、根拠のない自信があったので。


友達は、迷わず受けてました。

同室のおばあちゃんは、受けるべきかどうか、ずいぶん悩んでたみたい。


優先権はあるけど、判断は人それぞれのようでしたね。


病院の隣の公園 2010.12.13 Mon
「穴川中央公園」っていうんですね。

今、調べて知りました(^_^;)


広くて綺麗で、整然とした、雰囲気のいい公園でした。



ちょうど紅葉がキレイな時期で、

どんぐりの木の下に、どんぐりがゴロゴロ落ちてました。



結構寒い時期だったけど、外の空気を吸うと、ものすごく良い気分転換になったし、

ベンチに座って、遠くから病院を眺めていると、しばしの解放感に浸れました。


この公園を抜けて、信号を渡ったところに、神社があります。

「穴川神社」だったかな。


入院とはいえ、1ヶ月半の間は “穴川” の住人だったので、

一度だけ、挨拶がてらお参りしてきましたよ。


外泊・外出・散歩カード 2010.12.12 Sun
入院中は、こんな感じで過ごしていました(↓)


   
 
病院
外泊
自宅

※ 数字は重粒子線治療の回数
検査 外出 散歩
検査 検査 ←− 3泊4日−
リハーサル 1 2 3 1泊2日
散歩 4 5 6 7 ← 2泊3日
8 9 10 11 ← 2泊3日
12 13 14 15 ← 2泊3日
16 17 18 19 外出 外出
20 退院


重粒子線治療は、火・水・木・金の週4日なので、

だいたいは、土・日・月の2泊3日で自宅へ帰る感じにしてました。


病院の外に出るには、“外泊許可” 以外に、

“外出許可” もしくは “散歩カード” っていうのがあって、


外出許可なら、

例えば、昼食だけ停止にしてもらって外食してくる、なんてこともできます。


散歩カードは、

病院の隣の公園で散歩する人のために、外出許可の手続きをより簡略化したもので、

1時間以内の公園の散歩が許可されます。


発熱後の外泊 2010.12.11 Sat
発熱の翌日は、週末の外泊の日でした。


前日に、“3人目の先生” から、

「外泊する前に出血がひどいようだったら、呼んでくださいね」

って言われたけど、出血は落ち着いてたし、

“土曜のお休みの日に先生を呼び出すほど、KYじゃなぃやぃ” って思ってたら、

土曜日、呼んでもいないのに、先生来てくれました(T_T)なんてやさしぃ・・・


おかげさまで、週末の外泊、安心して楽しんできましたよ♪

かさねがさね、ありがとうございました(*^_^*)


治療中の発熱 2010.12.11 Sat
治療中に熱が出たのは、1回だけです。


重粒子線治療3回目の日、夕方になって少し熱が出ました。

先生の説明では、「感染症でしょう」ということで、抗生剤の処方を受けました。


が、夕食の後に吐いたら、なんとなくスッキリ。

「熱は、吐いたせいでは?」って聞いたら、

「吐いただけでは、そんなに熱は出ない」そうです。


その日から数日間、抗生剤を飲みましたが、熱が出たのはその時限り。

薬が効いたのかな(?)


HIMAC復旧待ち 2010.12.10 Fri
私が入院中に、HIMAC(重粒子線がん治療装置)の不調が2回ありました。


1回目は、朝からの不調で、

結局、治療開始が2時間遅れくらいになったのかな。


2回目は、別の日の午後、私の順番がまわってきた時(>_<)!


治療台に固定されて、位置合わせも終わって、あとは照射するだけ♪ って時に、

「重粒子のビームが出ない」とかなんとかで、

結局、照射できないまま治療台を降りて、病室に戻って、HIMAC復旧待ち。


その時も、2時間後くらいに復旧したんだったかな。



写真は、朝日を浴びる重粒子線棟です。


重粒子線治療の待合室 2010.12.9 Thu
重粒子線治療の順番が近づいてくると、

地下深くにある「重粒子線治療の待合室」に呼ばれます。


そこには、本棚があって、いくつか漫画が置いてありました。


私は、治療直前は、どちらかというとテンションが低く、気持ちに余裕がなかったので、

いつも漫画を読むようにしていました。


治療に慣れてきた患者さんの中には、

「どこから来てるの?」なんて話しかけてきたり、かなりリラックスできてるみたいだったけど、

私には無理。

治療前に、自己紹介から始める余裕はありませんでした。


だから、漫画を読みつつ、“話しかけてこないでねオーラ” を出していました(^_^;)


重粒子線治療の順番待ち 2010.12.8 Wed
重粒子線治療は、“時間制” じゃなくて “順番制” です。


治療にかかる時間は人によってマチマチだし、

その時の調子によっても長くなったり短くなったりするので、

具体的に「何時から」というのはわからず、

線量切替のタイミングで、前半と後半が分けられているだけ。

時間の目安になるようなものは特にありません。


だから、あとは、自分の順番がくるのを、ただ待つしかない。

食堂にあるモニタで、何番目まで終わったか確認しながら、待つしかありません。


照射リハーサル 2010.12.7 Tue
重粒子線治療が始まる前日は、午後から「照射リハーサル」でした。


重粒子線の照射室と同じフロアにある「リハーサル室」で、

実際の治療さながらに固定されること、1〜2時間。


1時間くらい経ったところで、1回休憩を入れてくれたけど、

慣れない状況と、じっとしていなくちゃいけない緊張感(?)からか、

少し足がしびれました(>_<)


子宮頸部扁平上皮癌の治療プロトコール(子宮W・0508)では、

この「照射リハーサル」が3回あります。


段階を踏むごとに、照射の範囲が狭くなっていくので、

2回目・3回目のリハーサルは、1回目より短時間で終わると思います。


階段には要注意! 2010.12.6 Mon
私は、“階段好き” です(^^)

階段を一段飛ばしで登ったり降りたりすると、すごく気分がいい♪


“入院中に体力を落とさないように” と考えた私は、

軽い運動代わりに、病棟の地下〜5階までの階段を(ゆっくり)往復してみたり、

1階の自動販売機まで階段を使ったりしていました。


3泊4日の一時帰宅から戻ってからも、“できるだけ階段” を心掛けてたんですが、

それがマズかった(-_-;)


階段運動によって、止血用のガーゼが徐々にずり落ちてきてしまい、

また、トイレから、通りすがりの看護婦さんを呼ぶことに・・・

で、また “3人目の先生” のお世話になりました(^人^ ;)


これをきっかけに、やっと学習しました。

「子宮がんの治療中なら、階段には要注意!」


退院より外泊がお得(?) 2010.12.5 Sun
重粒子線治療のための入院は、

当初、検査入院(4泊5日)と治療入院(約5週間)が別々に組まれていました。


・・・木 金・・・・・・
検査入院 治療入院


が、検査入院中の輸血により、入院が延長。


・・・木 金・・・・・・
検査入院+延長 退院か?
外泊か?
治療入院


ただ、治療入院前に、職場に挨拶しておきたかったし、

自宅にも当然帰るつもりで出てきたので、

先生に 「帰りたいです」 ってお願いしたら、配慮してくれて、帰れることに!


で、その一時帰宅の3泊4日を

「退院にするか? 入院したまま外泊扱いにするか?」 って話になったんですけど、

「退院してしまうと、何かあった時にすぐ対応できない」 という事らしく、

入院患者として籍を置いたまま、外泊許可を出してもらうことになりました。


私は、“その間も入院費用がかかってしまうのでは” と少し心配したんですが、

どっちかっていうと、“その間も入院給付金が出る” という感じで、

結果的に “退院” より “外泊” の方がお得だったような気がしています。 たぶん・・・(?)


林檎の季節♪ 2010.12.4 Sat
いよいよ林檎シーズンですね(^^♪

我が家にも、さっそく1箱届きました↓




去年は、入院中に、全部で3箱届いたので、

週末の外泊ごとに、家から病院へ運んで、

治療の合間に、病室でむしゃむしゃ食べてました。


食欲があまりない時でも、リンゴはイケたなぁ〜(^^)b

リンゴのシャキシャキした食感と、ほどよい甘酸っぱさ。

去年は、人生で一番リンゴにハマってたんじゃないかなぁ〜


以前は、リンゴを見ても 「なんだリンゴかぁ」 程度だったけど、

去年から格上げで、すっかりリンゴ好きです(*^_^*)


あ、でも、もし病室でリンゴを食べるなら、以下の準備をお忘れなく!

  リンゴセット ・・・ (ミニ)包丁、(ミニ)まな板、ラップ、皿、フォーク

特に、まな板は大切ですよ。


再発や転移について再考 2010.11.30 Tue
病気に対する私の考えは、“できるだけ自力で治す” っていう

昭和の頑固オヤジみたいな、かなり古くさ〜いところがあるんですけど、

でも、たぶん、病気に関しては、“自力じゃどうにもならない部分” ってあって、

「これはこうした方が良い」とか、「あれはああした方が良い」とか、

いろいろ理屈をこねて実践しても、必ずしも結果が伴うとは限らないのかもしれません。


私は、自分で野菜を作るくらいの “健康オタク” なので、

そういうことをストレスなく楽しんでやってますが、

たとえ、“健康オタク的な生活” をしていたとしても、

病状によっては、太刀打ちできない場合があるのかもしれませんね。


だとしたら、理屈っぽくなりすぎず、余計な事に縛られず、自由に生きるのがいい。


病気であろうがなかろうが、“自分らしく” 生きられれば、

たぶん、それが一番素敵なことなのかもしれませんね。


PET検査の結果報告 2010.11.28 Sun
入院5日目の昼過ぎにPET検査を終えた私は、

午後、輸血を受けながら、お昼に残したバナナを食べていました。


そこへ、2人の先生が、PET検査の結果を伝えに来てくれました。

「腹部リンパ節への転移は認められなかったので、重粒子線治療でいきましょう」


私は、「よかった」と安心した反面、

「とうとう治療が始まっちゃうんだなぁ」という喪失感(?)で、

嬉しいような、悲しいような・・・

正直、ものすごく複雑だったけど、でも、

仲のいい2人の先生を見てたら、なんかほっとしました。


イロイロあきらめなきゃいけない事もあるけど、

この環境で治療できる事を、本当に有難く思いました。


2種類の治療法の説明 2010.11.27 Sat
インフォームド・コンセントの内容は、

重粒子線治療の準備を着々と進めていた私にとって、とても衝撃的な内容でした。


「腹部リンパ節の1つに、転移の疑いがある」というもので、

「もし、それが転移だった場合、重粒子線治療は受けられない」という説明でした。


そして、その日、“転移があった場合” と “なかった場合” という、

2種類の治療法についての説明を受けることになります。


 腹部リンパ節転移ありなら・・・ 化学放射線治療 (シスプラチン同時併用放射線療法)

 腹部リンパ節転移なしなら・・・ 重粒子線治療


どちらにしても、ここの病院で治療してくれるみたいで、少し安心しましたが、

2つの治療法の説明が終わった時、

「できれば重粒子線治療で!」 って思ったのは、確かです。


腹部リンパ節転移の判断は、“翌日のPET検査の結果次第” ということになり、

この時は、ただひたすら、良い結果を願って待つしかありませんでした。


インフォームド・コンセント 2010.11.26 Fri
入院4日目の午後は、旦那に来てもらって、

改めて、病気と治療の説明を受けました。


先生の話が始まった時、ちょうど先生の携帯が鳴ったんですが、

電話に出た先生は、一言、

「IC中だよ」

と言って、まずは目の前にいる私達への配慮をしてくれました。


その時、

“なんて、誠実で、紳士的☆”

って思ったのと同時に、

“これが世に言う 『インフォームド・コンセント』 か〜 ”

って理解しました。


CTシミュレーション 2010.11.24 Wed
入院4日目は、予定通り「CTシミュレーション」が行われました。


腸をからっぽにして、

実際の治療の時と同じように前処置をして、

入院初日に作ってもらった “型枠” でカッチリ固定されて、CT。


子宮頸部扁平上皮癌の治療プロトコール(子宮W・0508)では、

この「CTシミュレーション」が3回あります。


行動制限 2010.11.23 Tue
お騒がせの翌日は、3人の先生が、かわるがわる様子を見に来てくれて、

“ここの先生は、本当に優しい♪”

と、その優しさの余韻に浸っていました。


・・・が、この日から、しばらくの間、

「シャワー」と「他のフロアへ出歩くこと」が禁止されて、

ちょっと参りました(-_-;)


ナースコールのわけ 2010.11.21 Sun
あの時、あまり深く考えずに、ナースコールを押してしまったことを

なぜか、この場を借りて弁解します。


私の病室には、車椅子の患者さんが2人いらしたんですが、

車椅子の場合は、トイレに行く時に、看護婦さんが手伝ってくれるので、

そのつど、ナースコールを使うんです。


だから、それを見ていた私は、

あまり悩むことなく、ナースコールを押して、看護婦さんに “手助け” を求めたんです。


まさか、日曜日の夜に先生を呼び出すことになるなんて、思いもよりませんでした。

先生、ごめんなさい・・・(^人^ ;)


3人目の先生 2010.11.20 Sat
トイレで焦っていた私は、

看護婦さんが、車椅子を用意して迎えに来てくれたとたんに、

背筋から血の気が引くような気持ちの悪さを感じて、立っていられなくなり、

車椅子に座った後、意識が朦朧となりました。


で、そのまま診察室へ連れて行ってもらって会ったのが、3人目の先生。

「あ、また違う先生だ」 って、かすかに思いました。


この先生には、その後、なんやかやで、とてもお世話になることになり、

今考えてみると、「なんで、こんな出逢い方〜(>_<)!」って、フクザツな気持ちになります。


でも正直、その時の私は、3人目の先生の顔を認識する余裕もなく、

メガネも外されたので、ぼやけてよく見えず、

「もう、どうとでもしてくれ」って気分でした(^_^;)


一通りの処置が終わって、病室に戻った後、改めて先生が自己紹介に来てくれたけど、

その時も、やっぱりメガネをしてなかったので、よく見えず、

休日の夜に、わざわざ来てくれた恩人の顔は、わからずじまいでした。


CTシミュレーションの準備 2010.11.19 Fri
検査入院3日目の夜は、翌日の「CTシュミレーション」に備えて、下剤を飲みました。


「CTシミュレーション」って、重粒子線治療をする上で、とても大切な作業で、

腹部に治療をする人は、「CTシミュレーション」の際に、

腸の中をからっぽにしなきゃいけないんだそうです。


私は、この時が人生初の下剤で、

 下剤 = 飲んだらピーゴロゴロ

って感じで、すぐに効果があるものだと思い込んで、落ち着かず、

ちょっとトイレで様子をみたりしているうちに、出血がじわりじわりと止まらなくなってしまって、

“少しだけ看護婦さんの手をお借りしたい” と、トイレのナースコールを押したら、

ちょうど他のナースコールと重なってしまったらしく、

とりあえず、看護婦さんと簡単なやりとりをして、

再び看護婦さんの手が空くまでトイレで待っていたら、

「先生呼んだから、もうちょっと待っててね」

と言われて、焦った私は、

“次に看護婦さんが来た時に断ろう” と考えてたんだけど、

次に看護婦さんが来た時には、もうすでに先生が到着していました・・・


先生、はやし・・・


十月桜 2010.11.18 Thu
検査入院の2日目&3日目は土日で、病院の中もお休み。


病室にいても暇だし、体も鈍っちゃいそうなので、

病院の敷地内をウォーキングしてみました。


ま、ウォーキングって言っても、

病院と守衛室の間を往復するくらいしかできないんですけど。

その時、守衛室の近くに、桜らしきシルエットを発見!

守衛さんに聞いてみたら、「十月桜」という “秋から冬にかけて咲く桜” だと教えてもらいました。



春の桜と違って、長い期間をかけて、少しずつ花を開くような、控えめの桜でした。


型枠づくり 2010.11.17 Wed
“型枠” とは、重粒子線治療をする時に、体を固定するための枠で、

病院では「固定具」という呼び方をしています。


この「固定具作成」というのが、患者さんの間でも、ちょっとした話題の作業で、

「工作室みたいな所で、狭い台に横になって、仰向けの、うつ伏せの、なんやかや」 と、

いろいろ前評判を聞いてたんですが・・・


私が覚えている実際の工程は、

  ・ パウダービーズクッションみたいのに寝転がる。

  ・ パウダービーズクッションが固まったら、のこぎり(?)で余分な部分を切り落とす。

  ・ ホカホカでやわらかいプラスチック板みたいのを、体の上からかぶせる。

  ・ プラスチック板の上から、霧吹きして、冷やして固める。

みたいな。


患者は、とりあえず、じっとしてるしかないので、目をつぶって静かにしてたんですが、

人生で、まず出くわすことのないシチュエーションに、だんだん笑えてきちゃって、

目を閉じたまま、笑いをこらえつつ、ニヤニヤしてたら、

技師さんが、作業しながら、ちょっと笑えるような話をしてくれました。


この病院は、技師さんも優しいのです(*^_^*)


検査入院 2010.11.16 Tue
検査入院は、土日を挟んだ3泊4日の予定でしたが、

5日目にPETの予約が取れたらしく、4泊5日に。


初日は、


  診察 → CT → MRI → 心電図 → 型枠づくり (合間に、病棟の説明)


という慌ただしい日程で、

病院についてから、のんびり荷物を広げる時間もありませんでした。


この日の診察は、初診の先生とは別の先生でしたが、

この日も、穏やかな雰囲気のまま診察を終え、

やっぱり、ここの先生は、患者に優しいなぁ♪って思いました。


守衛さんのチェック 2010.11.15 Mon
初診から3日後、

検査入院のため、再び重粒子医科学センター病院を訪れました。


・・・が、守衛室の脇を通り抜けようとした時、守衛さんからチェックが入りました。

「どちらへ行かれるんですか?」

「入院です(^_^;)」


この時の私は、稲毛駅からゴロゴロと、赤いキャスター付きバッグを引きずって来院。

これから治療する患者には、見えなかったのかも(?)


守衛さんに呼び止められたのは、後にも先にも、この時だけでした。


臨床試験の提示 2010.11.13 Sat
重粒子医科学センター病院の初診で、

肝心かなめの「重粒子線治療」の話は、最後の最後でした。


あくまで、“標準治療” をするのがセオリーであるという説明の上で、

臨床試験として「重粒子線治療」があるという説明を受けました。


先生の口から、「重粒子線治療」という言葉を聞いた時、

私は、やっと、心に詰まっていたものがとれたような感じがしました。


そのくらい、重粒子線治療が受けられるかどうか、不安だったし、それに懸けてました。


・・・その後は、流れるように話が進み、

「重粒子線治療」が始まるまでの入院日程やら何やらの段取りが組まれました。


人によっては、“初診から入院まで2ヶ月待った” という方もいるようですから、

この時は、タイミングが良かったんだと思います。


病状の説明 2010.11.12 Fri
初診での病状の説明は、本当に丁寧で、

子宮がんの知識がない人でも、理解しやすいように、

図とメモを使って、基本的なところから説明してくれました。


“どうせなら、最初の病院でこの説明を聞きたかった・・・” と思うくらい。


この時、わかったのが、ステージUbの ‘b’ の部分。

Ua Ub Va Vb とある ‘a’ や ‘b’ の部分は、がんの広がりの方向なんだそうです。

「膣方向への広がりが ‘a’ で、骨盤方向への広がりが ‘b’ 」


また、先生の説明では、

「ステージが、UbかVbかはっきりしない場合は、小さい方で表す」

ということでした。

UbとVbの違いは、骨盤壁までがんが達しているかどうか、というあたりらしいので、

診察では、そのへんの判断が微妙だったのかもしれません。


初診の印象 2010.11.11 Thu
重粒子医科学センター病院の初診の印象は・・・  とにかく丁寧!


これは、あくまで、私の基準で考えちゃってるので、

別の人が同じように感じるかわかりませんが、

病状の説明から診察に至るまで、本当に丁寧に対応していただきました。


その帰りの電車の中で、旦那に、

「この病院で治療する!」

と断言したくらいです。


重粒子医科学センター病院の話・・・の前に 2010.11.10 Wed
ちょうど去年の今頃、重粒子医科学センター病院の初診を受けました。


・・・なので、少し病院の話も書いていきたいなぁ、なんて気持ちもあるんですが、

いざ書こうと思うと、なかなかうまく書けません。


がんセンターの話だったら、いくらでも、ものすごく客観的に書けるんですけどね。


重粒子医科学センター病院の話は、まだ現在進行形みたいな。


・・・なんかよくわからないけど、とりあえず、自分が書けそうな部分しか書かないし、

重粒子線治療の具体的な話も、まだ書かないと思います。


もし、これから治療を受ける方で、具体的に知りたいという方がいたら、

ホームページからメッセージをください。

個人的なやりとりでしたら、ホームページに書けない事も書けますし、

質問にも可能な限りお答えします。


再発や転移の前に・・・ 2010.11.5 Fri
“将来的な再発や転移” について、少し考えてみたわけですが、

まずは、“再発や転移をしない体づくり” からですね。


「免疫療法」なんて治療法があるように、

もともと、体の中に、“がんを治す力” が備わってるわけだから、

それを十分に生かしてあげないとp(^^)q


実際の治療は、とても‘お高い’ので、

まずは、無料でできる「免疫力アップ」から始めましょう(^^♪


免疫療法について 2010.11.4 Thu
『免疫療法』というと、

“自分の免疫力(自然治癒力)をできる限り引き出して、病気をやっつける” というイメージ。


1年前に調べた情報によると・・・


『免疫療法』では、白血球の一種「リンパ球」を活性化して利用するんだとか。

その「リンパ球の種類」と「活性の仕方」がイロイロあるので、

『免疫療法』の種類もイロイロある。


手術の際に採取した癌細胞を材料にして治療するものに、

 ・ 腫瘍組織浸潤リンパ球療法 (TIL) ・・・癌組織のリンパ球を活性化して利用。

 ・ 細胞障害性リンパ球療法 (CTL) ・・・癌細胞と混ぜたリンパ球を活性化して利用。


採血した血液を材料にして治療するものに、

 ・ 活性化自己リンパ球療法 ・・・Tリンパ球を活性化して利用。

 ・ 活性化NK療法 ・・・リンパ球の中のNK細胞を活性化して利用。


最近のものでは、

 ・ 樹状細胞療法 ・・・癌情報を取り込んだ樹状細胞と混ぜたリンパ球を活性化して利用。


などなど。大雑把に書いても、これくらいあるらしい(^_^;)


『免疫療法』と一口に言っても、その選択は難しいし、

保険がきかないので、高額になること間違いなし!

まずは、“勉強” と “貯え” が必要みたいです(^^ゞ


将来的な再発や転移 2010.11.3 Wed
重粒子線治療を受けた後の “将来的な再発や転移” ―


最近、そんな事を考える機会を与えられたので、

私の頭の中を整理してみました。


“再発”や “転移” といっても、

たぶん、その症状の現れ方には、イロイロあり、

ひとくくりにして、「こういう治療をします」と言うことは、できないんだと思うのですが・・・


ここからは、あくまで、私の考えで書きます。

(ろくに、下調べもせずに書いているので、参考にはならないと思います。)


私が、「重粒子線治療」を選択する時、もう一つ可能性を探していた治療法がありました。

それが、「免疫療法」。


「免疫療法」には、たぶん、イロイロな種類があり、保険の適用もありませんから、

“どの病院を選ぶか” というのは、とても難しいと思うのですが、

最近では、テレビで紹介されるような病院も出てきました。


一部には、“末期の場合の延命措置” という捉え方もあるかもしれませんが、

それでも私は、その時になったら、「免疫療法」 の道も探りたいと考えています。


一方で、もし、局所的な転移で、再度「重粒子線治療」が受けられる場所なら、

「重粒子線治療」を受けます。


ここに書いた事は、あくまで将来的な “仮定の話” なので、

将来の自分が、同じ考えを持っているかどうかは、わかりません・・・


自分が納得できる道 2010.10.31 Sun
きのう書いた話は、

とりようによっては、医師批判とも、患者批判ともとれる

誤解を受けやすい表現になってしまったことを反省し、ここで弁解です。


“自分が納得できる道” って、人それぞれで、

例えば、同じ病気で同じ症状でも、同じ選択になるとは限らないんだと思います。


どんな治療をするか自分で選ぶ、というのが一つの道なら、

治療の選択を信頼できる医師に一任する、というのも一つの道だし、

治療に関わる一切を周りの人に任せて、自分は治療に専念する、というのも一つの道。


最新の治療をすることが、その人にとってベストとは限らず、

最終的に納得できるかどうかは、 “自分が選んだ道” だったかどうか、なのかなと思いました。


医師が患者に提供できるもの 201010.30 Sat
がんセンターの先生とのやりとりを通して、感じたことは、

“お医者さんができることは、

 その先生が得意とする治療法の中で、最善の治療を、患者さんに提供する事”

だと思いました。


お医者さんの守備範囲は、たぶん、狭く深〜い。

それぞれが、とても狭い範囲の専門家で、

自分の専門分野以外の治療法を知っていたとしても、

それを患者に勧めたりはしない。


それは、自分がやる治療以外のものに、責任が持てないから。

もし、患者のためを思って、別の治療法を勧めて、それがうまくいかなかった時、

その治療法を “勧めた責任” を取れないから。


特に、がんみたいに “標準治療” がある場合は、

あえて、そのレールを外れる理由はない。


最終的に “自分が納得できる道” を選ぶことができるのは、自分自身なんだと思いました。


紹介状を依頼 2010.10.29 Fri
“がん告知” から1週間後、再び、がんセンターを訪れた私と旦那は、

「重粒子線治療を受けたいので、紹介状をほしい」

という内容を先生に伝えました。


・・・が、先生の答えは、

「紹介状を書くことはできますが、治療してもらえるかどうかは、わかりませんよ」

というものでした。


がんセンターの先生は、過去に、 「重粒子医科学センター病院」 とやりとりをしたことがあり、

その存在はもちろん知っていましたが、

「子宮がんの重粒子線治療」 に関しては、あまり良い印象を持っていないような感じでした。


たぶん、がんセンターの先生も、

“私にとって、何が一番良い治療法か” を考えてくれた上での言葉だったと思います。


でも、私達の気持ちは、もうすでに決まっていたので、

旦那が用意していた “ホームページのコピー” (重粒子線治療の条件が書かれたもの)

を先生に見てもらって、納得していただきました。


陽子線治療か、重粒子線治療か 2010.10.28 Thu
いろいろ調べるうち、

がんセンターの中に 「陽子線治療」 を受けられる施設があることがわかって、

とりあえず、がんセンターの中の 「よろず相談」 に、旦那が電話相談してみることに。


・・・が、 「できないと思いますよ」 程度の、とてもそっけない答えが返ってきたらしく、

「よろず相談」 っていったい?! という疑問だけが残りました。


結局、また、自分達で調べて、

千葉の 「重粒子医科学センター病院」 に、旦那が電話相談してみることに。


「重粒子医科学センター病院」 の電話対応は、とても丁寧で、感じが良く、

さらに、“私の病状は重粒子線治療の適応になりそう” という好感触が得られ、

やっと進む方向が見えてきたような気がしました。


治療の選択 2010.10.27 Wed
治療の選択肢が、だいたい出揃って、

「IMRT」 か 「粒子線治療」 あたりが妥当ではないかという話にまとまってきた中で、

それでもなお、私は、治療の選択を悩んでいました。


“体の機能を温存して、がん細胞だけ消せるような治療方法” が本当にないのか(?)

「免疫療法」 や 「温熱療法」 だけで、病気を克服した例はないのか(?)

もっと他の治療の選択肢はないのか(?)


ただ、検索すればするほど、あやしい治療方法もたくさん出てきて、逆に、頭は混乱しました。


そんな時、たまたまテレビで、がんの先端医療の話をやっていて、

そこで、総合南東北病院の 「陽子線治療」 の紹介を見ました。


がんセンターから与えられた1週間という短期間の中で、迷っていた心が決まったのは、

テレビを通して、実際の治療現場を見た、その時だったかもしれません。


他の治療方法 2010.10.26 Tue
他の治療方法といっても、そう簡単には見つけられませんでした。


がんの3大療法と言われているのが、

  ・ 外科療法 (手術)

  ・ 化学療法 (抗がん剤)

  ・ 放射線療法


第4、第5の治療法と言われているものに、

  ・ 免疫療法

  ・ 温熱療法 (高周波ハイパーサーミア)

がありましたが、これら単独で治療している例はほとんど見つけられず、

「3大療法の補助的な役割で使われることが多い」 という情報しか得られませんでした。


一方、旦那が見つけてくれた情報が、

  ・ CT付きLINAC (エレクタシナジー)

  ・ IMRT (強度変調放射線治療)

  ・ VMAT (強度変調回転放射線治療)

といった、放射線の当て方を工夫した 「放射線治療」 。

「手術+化学放射線治療」 に取って代わる方法としては、

こういった治療方法が現実的のような気がしました。


ただ、まだこの時点で 「これだ!」 と思うような決定的な何かをつかめず、さらに検索。


そんな中、またまた旦那が見つけてくれたのが、

  ・ 陽子線治療

  ・ 重粒子線治療

といった、 「粒子線治療」 。

これらは、 「CT付きLINAC」 や 「IMRT」 よりも、さらに現実的で、

かつ、物理の点数は悪いけど、物理の本を読むのが好きな私には、

なんだか魅力的な感じさえしました。


がん告知 2010.10.25 Mon
去年の今頃、 “がんの告知” を受けました。


がんセンターの一室で、旦那といっしょに話を聞いたんですが、

“がん告知” の印象は、

「ずいぶんざっくりとした説明だなぁ〜」

という感じ(^_^;)


私達は、事前に、インターネットで下調べしてたから理解できたようなものの、

もし、何の予備知識もなしに、話を聞いていたら、

きっと、最初の病名のところから、迷子になってたはず(@_@;)


私の記憶に残っているのは、

MRI画像に写る大きな腫瘍と、専門的な病名、

難しい手術になる事、手術をした場合の副作用(後遺症)についての簡単な説明、

すごい汗をかいて気分が悪そうな旦那、診察台に横になる旦那・・・という感じです(^_^;)


その日は、婦人科と放射線科をはしごして、各科の治療方針を聞いたわけですが、

婦人科も、放射線科も、結局のところ 「やってみないとわからない」 という答えで、

婦人科と放射線科、両方の治療を合わせた “手術+化学放射線治療” を勧められました。


一通り説明を受けた後、私の頭の中ではイロイロな思いが巡りましたが、

とにかく 「今の健康を維持できなくなるような治療は、受けたくない」 って思いました。


だって、その時の私は、

「生きてきて、今が一番健康的な生活を送れてる」 っていう実感があったから、

究極な話をすると、

「がん細胞があっても、うまく共存できるんじゃないか」 という考えでした。

現に、子宮がん検診を受けるまで、生活にほとんど支障がなかったわけですから。


がんセンターからは、1週間の “考える時間” を与えられたので、

家へ帰ってすぐ、自分の状態を再確認した上で、

必死に、他の治療方法を探しました。


体験談で一喜一憂 2010.8.26 Thu
重粒子線治療の体験談を読んでいると、ものすごく入り込んでしまいます。

特に、病院での出来事などは、情景も浮かぶし、共感しながら読んでいます。


・・・でも、治療が終えて、何年後に “再発”?!

とかいう記録を見ると、なんだか急に現実に引き戻されます。


「転移も再発もしない」という根拠のない自信がある私でさえ、少したじろぎます。

“体験談” は、やはりリアルです。


重粒子線治療を受けている以上、同じ場所に放射線の類は当てられない。

再発すると、治療の選択肢が狭くなります。


なので、治療を終えた今できる事を着実にやっていかないといけないですよね。

とりあえず、癌が成長しやすい体質を改善する事。

癌を育ててきた期間の生活習慣で、悪いところは見直していかなくちゃいけない。

体調が良いからといって、以前と同じような生活を繰り返していたら、

何も変わらないですものね。


重粒子線治療の体験談を集めてみました 2010.8.23 Mon
Newページを作りましたよ。

「重粒子線治療の体験談」について書いてあるホームページ&ブログを集めて、

まとめてみました↓


重粒子線治療の体験談を綴ったページ&ブログ


今のところ、見つけられた体験談は、わずか8件。

内訳は、前立腺癌5件、膵臓癌2件、仙骨脊索腫1件。

全部、男性の患者さんで、ほとんどが年配の方でした。


ステージが進んだ状態で重粒子線治療を受けている方が多く、

みんながみんな、重粒子線治療を受けて完治・・・というわけではないようですが、

みなさん、文面は決して暗くない。前向きな印象を受けました。


紹介できるページを増やしていけるように、また探してみます(^^)


重粒子線治療の体験談が少ないワケ 2010.7.31 Sat
“検索エンジンを使って、欲しい情報をピンポイントで探し出すのは難しい”

って話を、前々々回の記事の中で書きましたが、

「重粒子線治療の体験談」 を探すのも、なかなか大変ですよね(>_<)


少なくとも、私は、治療前に

「子宮癌の重粒子線治療の体験談」 を見つけることはできませんでした。


「重粒子線治療の体験談」 で見つけられたのは、

前立腺癌が2〜3件に、膵臓癌・・・そのくらいかなぁ(?)


「情報、少なっっ!」 って思ったのを覚えています。


でも、実際に入院してみて、 “体験談が少ない理由” がちょっとわかったような・・・


重粒子医科学センター病院の入院患者さん、ぱっと見、年配の方が多いです。

私より年下の人は、片手で数えるくらいだったかも(?)


まして、子宮癌ともなると、私の母親の年代以上の方がほとんど(?)みたいな。


“体験談が少ない” っていうのも、なんだか頷けました。


看護婦さんと嬉しい一言 2010.7.13 Tue
重粒子医科学センター病院といえば・・・

看護婦さん、優しくてキレイな人が多かったですよ〜(^^)

私が男だったら、きっと、ルンルン♪ですね。


ま、残念ながら、私は女なので、

看護婦さんにトキメク事はなかったですが、

でも、どんな時でも、優しく接してもらえたので、

すごく感謝してます。


そんな中でも、特に、記憶に残る一言があります。


それは、治療が始まったばかりの頃の週末に、外泊許可をもらって、

自宅に一時帰宅するために、旦那が病院まで迎えに来てくれた時。

看護婦さんが旦那に向かって言った言葉。


「大切にしてあげてくださいね。」


って。

こんな言葉、言ってもらったの、初めてです。

なんか、私、そんな大切にしてもらうほどの人間じゃないですけど、

すごく嬉しくて、ウルウルしてしまった。


それもこれも、病人の特権ですね。

私にとって、忘れられない一言です。

ほんと、ありがとうございました(*^_^*)


呪文 2010.6.25 Fri
最近、ワールドカップで、少しだけ周りがにぎやかです。

私の職場にも、サッカー好きがいて、夜な夜な応援してるみたいです。


・・・そんな話の流れで、「勝負ごとの時、“げんかつぎ” をするか?」みたいな話になりました。


私は、“げんをかついで、必ず○○する” みたいな習慣はないんですが、

“この言葉を唱えると、物事が良い方向へ進む” みたいな

ちょっとした “呪文” のようなものを持っています。


この “呪文” ていうのは、なかなか便利で、

勝負ごとに限らず、どんなシチュエーションでも使えます。


たとえば、私の嫌いな注射をする時も、この “呪文” を唱えると、心が落ち着くし、

すごく緊張する場面でも、ちょっとやりたくない事をやらなきゃいけない場面でも、

この “呪文” で、ずいぶん気持ちが楽になります。


そうそう、重粒子線治療の時も、20〜30分じっとしていなきゃいけないので、

その間もずっと、治療がうまくいくように “呪文” を唱えていました。


・・・一種の自己暗示ですかね(?)


この “呪文” に頼る方法、結構オススメです♪


酒田のおじさん 2 2010.6.24 Thu
(きのう、途中で寝てしまったので)

つづき。


そんな、私の 「また会いたい人リスト」 の中に、 “酒田のおじさん” がいます。


“酒田”っていうと、映画 『おくりびと』 の舞台になった場所で、

個人的なエピソードとしては、

私がサラリーマン時代、転勤を命じられた場所です。

(その時は、結婚の予定もあり、転勤は断りましたが。)


そのせいか、“酒田”に妙な親近感があり、

おじさんのコッテコテの“酒田弁”も、なんだかおもしろくて、

ちょっとずつ話をするようになりました。


酒田のおじさんは、左目から鼻にかけての治療をしていた人で、

治療がうまくいっても、左目の視力は戻らないって言ってました。


そんな酒田のおじさんは、すごくグルメな料理好きで、

酒田の海の幸をふんだんに使った“海鮮丼”の話とか、

作り方から丁寧に、実においしそうに説明してくれました。


でも、ある時、週末の外泊(一時帰宅)から戻ったら、すでに退院していて、

お別れのあいさつもできずじまいでした・・・


なので、もし、もう一度会うことができたら、こう言います。

「おじさんの作った“海鮮丼”、今度食べに行くから、ごちそうしてね♪」

って(^-^)


酒田のおじさん 2010.6.23 Wed
私は、重粒子医科学センター病院が、初入院、初治療だったんですけど、

患者さんによっては、

すごく珍しいタイプの癌で、病院を転々として、他の治療法も見つからず、

最終的に、重粒子線治療を受けに来た、というような方も、少なくありませんでした。


私が仲良くさせてもらった人の中にも、やはり、

そういう紆余曲折を経て、重粒子線治療を受けている方が何人かいて、

治療はしてるけど、治療の効果がどう出るかはやってみないとわからない、とか、

治療して病気は克服できても、歩けるようになるかはわからない、とか、

抱えるものは、人それぞれで、

「 癌細胞がなくなる = 今まで通り 」

っていう単純な話ではないんだと感じさせられました。


ただ、そういう人は、病気のことで、つらい思いや苦労を重ねているぶん、

私なんかにも、とても優しく接してくれました(^^)


なので、いまだに、「○○さん、どうしてるかな〜」って、気になる時があります。


リハビリ順調かな〜

歩けるようになったかな〜

手紙くれるって言ってたけど、こないな〜

どうしてるかな〜


つづく。


急な予定変更も大きな心で受け入れるべし 2010.6.10 Thu
重粒子医科学センター病院で入院中に仲良くなった人の中に、

1人だけ、メアドの交換をした子がいます。 その友達の話―


彼女は、子宮ではなく、別の場所の治療なんですが、

退院後も3ヶ月に1回の検査入院が必要で、

検査入院の1ヶ月くらい前に、2泊3日の入院予定を通知されていたんですが、

検査入院の2日前になって、急な日程変更!

結局、さらに1ヶ月後に延期になったそうです(>_<)


・・・そういえば、私も、治療前の検査入院、3泊4日って聞いてたのに、

行ってみたら、4泊5日だったなぁ〜

ま、私の場合は「PET検査の予約がとれたから」的な、

そんなラッキーな理由だったんですけど。


病院って、結構、急な予定変更があるみたい。

ま、病人相手ですもの、計画通りにはいかないか。


ただ、そういうこともあるって心構えをしておくと、いいかもね(^^)


ジェネラルルージュの凱旋 2010.6.9 Wed
私が重粒子医科学センター病院で治療を受けることになってから、旦那によく聞かれるんです。

旦那 「海堂尊に会った?」

私 「カイドウタケル?何それ?」

旦那 「『チームバチスタの栄光』を書いた人だよ」

私 「おぉ!」


映画見に行きましたよ〜 竹内結子、阿部寛、吉川晃司、池内博之のね。

重粒子医科学センター病院で働く先生だったんですね。


今も、連ドラ見てますよ〜 『ジェネラルルージュの凱旋』

素直に、おもしろいっ!

西島秀俊のぶっきらぼうな演技、シブイです。




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